キッキーchallenge’s blog

このブログでは色んな事に挑戦して記録を残すこと、また以前から興味のあることなどを言葉にまとめていくことが目標です。

見田宗介先生

こんばんは。キッキーです。
今日も春の日差しいっぱいの良いでしたね。
川縁の遊歩道には、歩く人、走る人、
小さな子供と一緒にピクニックする人、
川で魚釣りをする人。平和な風景ですな。

さて、社会学者の見田宗介先生がお亡くなりに
なったとニュースで知りました。
謹んでお悔やみ申し上げます。
先生とは直接の面識はありませんが、
私が大学時代、社会学を学ぶ中で、沢山の
著名な社会学者の方の本を読みましたが、
見田宗介先生の論文に最も影響を受け、
強い憧れを抱きました。

アカデミックの世界には進まなかったので、
見田宗介先生の本を貪るように読んだのは、
学生時代のみですが、先生の世界観に深く
感銘を受け、妙に自分に合う感覚がありました。
正直、今見田宗介先生の研究について述べよ
と言われても、記憶の彼方に抽象化されて
しまいましたが、社会学と全く違う分野で
20年以上一般企業に勤めていましたが、
先生のお名前は私の中で色褪せる事は
ありませんでした。

見田宗介先生と面識のあった私の卒業論文
教授は、『見田くんは私が認める社会学者だ』
とおっしゃっていて、悲しい訃報ですが、
今回のニュースを受けて、命懸けで卒業論文
書いた事を懐かしく思い出しました。
そして、恐らく25年ぶりに、自分の
先祖祭祀研究の論文を読み直しました。
確か、見田宗介先生に憧れすぎて、卒業論文
の参考文献にさせていただきました。
そして、みつかりました!
註釈35に
見田宗介 『現代社会の社会意識』
その中の先生の概念、「原恩の意識」が
卒論に引用されていました。

そして卒業論文を読み返してみたところ、
自分でも驚くぐらい、しっかり中身濃く
書けていました。
語彙力も豊富で、もしかして、あらっ、
今よりあの時が一番私、賢かったのかも??
と思う程でした。
そして、もしかしたらあれだけの情熱を
かけることができたのであれば、あの研究が
天職だったのではないか。
父親にも卒業論文を見せた時、研究者への
道は考えないのか。とも聞かれました。
既に遠い昔ですが。
死に物狂いとは大袈裟かもしれませんが、
研究に熱中しすぎて、自分の論文の一言一句の
論拠を全て探し尽くすほど、夢中で書きました。
そして、未熟な22歳でありましたが、
この研究職は、本当に自分の全エネルギーを
かけないと出来ない仕事だ。
このまま研究を続けたら、自分は死んでしまう
かもしれないと思い、一般企業に勤めることに
しました。

今となっては、この選択が良かったのか
どうなのか、誰にもわかりません。
あれだけ熱中できるものに巡りあえたのに、
なぜ手放したのか。
しかし25年も見返さなかっとはやはり、
それまでではなかったのか。

既に齢50が目前。
今更振り返っても仕方ないか。

残念なのは、見田宗介先生に一度もお会い
できず、講演会などにも出向かなかった事です。
もし私がほ本当に会いたかったなら、
きっとなしかしらのアクションを起こして
いたはず。
今となっては、もうお会いできません。

今日は学生時代の懐かしい思い出と、
それにまつわるほろ苦い思いを
思い出しました。

見田宗介先生の『気流の鳴る音』
先程ネットから注文しました。
先生のご冥福をお祈りしながら、
読んでみようと思います。

最後までお読みいただき、
ありがとうございました。